delofamiliaが主催する「empathize vol.2」が、2月3日(月)に渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて開催。
今回のゲストバンド People In The Box の波多野裕文と山口大吾を迎えて対談インタビューを特設サイトにて公開。
――delofamilia主催「empathize vol.2」のゲストバンドとして出演することが決定したPeople In The Boxをお迎えしましたが、もともとどういう経緯で出演を依頼することになったんですか?
NAOTO 2012年でしたっけ?
波多野 いや、2013年でしょ。5月。
NAOTO えっ、そうだっけ?
Rie fu まず、そこからつまづく(笑)。
NAOTO 日比谷野音であったイベントでオレンジレンジで共演して。そのときに観たライブのあまりのカッコよさに感激して、僕から声をかけたんですよ。
波多野 僕、その日風邪をひいていた上に、ライブでがんばって歌ったので、声がカスカスだったんですけど、声をかけてもらって話し始めたら聴いてきた音楽のルーツや根っこの部分でつながってるっていうのを感じて、話しても話しても足りなくて。
NAOTO しかも、もう帰る寸前に声かけたらから、楽屋の端っこで二人きりで話し込んでましたよね(笑)。
――山口さんは?
山口 僕は、会う前は、(オレンジレンジって)楽屋でも騒いでるタイプなのかなと思ってたんですよね。そしたら、意外とみんなクールで。けっこう印象違うなと思っていたら、打ち上げに来てたので、そこで話したんだよね。
NAOTO そうですね。でも、話したことといえば……。
山口 全部シモネタ(笑)。
NAOTO 口を開けば(笑)。
山口 シモネタばっかり(笑)。でも、そういう部分も、外から見てただけじゃわかんない一面だったし、なんか少年なイメージがあったけど、男同士って感じがして、すごく近くなれた感じだったんですよね。
――人間的な部分で気が合ったんですね。Rie fuちゃんは?
Rie fu 初めてライブを観たのは、「JOIN ALIVE」のフェスですね。ずっとNAOTOさんから「ライブを観て衝撃を受けた」という話は聞いていてたんですけど、本当に素晴らしくて。だったら、ぜひ対バンしてもらおうということで声をかけて実現したという流れですね。
――「empathize」のような対バン企画は、ずっとやってみたいと思っていたんですか?
NAOTO いや、そういうわけじゃないですね。僕らは、ワンマン、小規模なツアーで廻ることが多かったんだけど、2012年ぐらいから、もっといろんな人に観てもらおうってことでイベントとかにも出るようになって、「empathize」も始動させたんだけど、別にシリーズ化していこうってわけじゃなく、やりたい人とやれればいいねって感じでしたね。
Rie fu 何ヶ月に一回やらなきゃいけないという縛りがあるのとかイヤじゃないですか(笑)。素晴らしい出会いがあれば開催すればいいし、そうじゃないならやらなくてもいい。
――対バンしたいと思うバンドがいれば、やる。
NAOTO うん。自分が観て、Rieちゃんが観て、二人ともいいねって話になって、それでやっと動き出すってのがよくて。俺がいいと思った、一緒にやりたいから、紹介するよみたいな感じじゃなく。二人して、「やろう!」ってなってからでいいかなと思ってて。
Rie fu 機が熟すのを待つというか。
NAOTO そうそう。本当にいいと思ったらでいいんだよね。
Rie fu タイトルの「empathize」(エンパサイズ)って共感という意味があるんですね。同じ意味で、シンパシーという言葉があるんですけど、あれって実は<憐れむ>とか、物悲しいニュアンスで使うものなんですよ。「empathize」は、もう少し幅広く、喜びも悲しみも含めて、いろんな感情を理解するとか共感するという大きな意味で使う言葉なので、出会いがあって、ライブをやってお互いのお客さんにも刺激しあって、いろんな部分で化学反応があったらいいなって意味でこのタイトルにしました。
山口 そういうタイトル感みたいなものも含めて、なんかdelofamiliaって不思議だよね。
――というと?
山口 僕が、20代のころは、デロみたいな音楽って表現しようと思ってできないようなジャンルだったと思うんだよね。なんていうんだろう、年齢に釣り合わない渋さがあるというか(笑)。だから、二人が何を見て、どう育ってきたのかには興味がある。
Rie fu コムロ世代です(笑)
山口 そうなんだ!
NAOTO 実は安室ちゃんとか聴いて、ノリノリに育ってきてますから(笑)。
Rie fu とはいえ、子供の頃はアメリカに住んでたりしたので、やっぱり洋楽を聴く機会は多かったですね。歌い始めたきっかけは、親が聴いていたカーペンターズだったこともあって、70年代の女性シンガーソングライターものを好んで聴いてはいましたね。学生時代は、流行りものも聴いてましたけど、本当に共感できたのは、時代を超えてもいいなと思うものだったんで、たしかに渋いかもしれないですね。
NAOTO 僕は、わかりやすくズレてるものが好きでしたね。今でこそ、流行るってすごいって思えるけど、当時は隠れて電気グルーブとか聴いてたし。
波多野 なんで隠れて聴いてたの?
NAOTO 仲間と同じものを聴いてないといけないみたいに思ってたのかな。電気グルーブが好きとか言いづらいみたいな(笑)。
山口 俺なんて、そのときのムーブメントだけで満足してたよ。それ以外の音楽を聴いてた人がまわりにはいなくて。
Rie fu それこそ隠れて聴いてたんじゃない?
山口 あ、そうか。渋い人たちは、みんなそうやって隠れて聴いてたんだ。
NAOTO 土地柄もあるかもしれないけど。俺が育った沖縄のコザは、米兵が多かったこともあって、ほとんどヒップホップでしたからね。学校以外ではJ-POPは流れてなかったし。
山口 そのJ-POPが、コムロファミリーなの?
NAOTO あとは、T.M.Revolution とか、B’z。
山口 なるほどね。